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Showing 20 statements from July 17. 2004. Skip Japanese posts |
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| 近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併も決まり、ストも決行 か、ということで、日本プロ野球もいよいよ渾沌としてきましたが、今日は 私なりのプロ野球改革案を提示したいと思います。 * * * 基本理念は、以下の5点。 1.地域フランチャイズを促進すべき。 2.狭い日本に2リーグは必要ない。1リーグにすべき。 3.実力の拮抗した者同士が競い合うべき。 4.強い者が得をし、弱い者が損をするべき。 5.下部リーグを設立、充実させるべき。 【1.の為に】 …全ての球団名を「地名+愛称」、つまり「どこそこナニナニーズ」の形式 にします。 世界のプロスポーツを見渡してみると、単一の企業が実質的経営権を握って いるクラブ(チーム)でも、その名称に企業名を冠しないのが常識。チーム 売却などで経営者が変わっても、いちいち名前を変えない。「バイヤー・レ バークーゼン」みたいな例外は、そのフランチャイズ都市(レバークーぜ ン)がいち企業(バイヤー社)の企業城下町である場合。日本の球団は、企 業名を一切取り払い、以下のように名前を変えましょう。(現在の順位順) 名古屋ドラゴンズ 福岡ホークス 東京ジャイアンツ 所沢ライオンズ 東京スワローズ 千葉マリーンズ 西宮タイガース 札幌ファイターズ 横浜ベイスターズ 神戸ブルーバファローズ 略して神戸ブルーズ(仮) 広島カープ ・・・タイガースとライオンズだけ、ものすごくローカルな感じがするけ ど、慣れればきっと大丈夫です。そして神戸は、泣いてどうなるのか。 【2.〜4.の為に】 …とりあえずは上の11チームで1リーグを形成するわけですが、11チーム が1シーズン通して単純に総当たりすると、興味の薄い試合が増え、よろし くありません。そこで、サッカーのスコットランド・プレミアシップの方式 を取り入れ、以下のようにします。 ・ワンシーズンを前期と後期に分ける。 ・「前期」には11チームが総当たりで8戦ずつ試合する。1チームあたり の「前期」の試合数は、対戦相手10チーム×8戦=80試合。 ・「後期」は、「前期」終了時の上位6チームと下位5チームに分かれ、 それぞれ総当たりで14戦ずつ試合する。 上位6チームの、1チームあたりの「後期」の試合数は、 対戦相手5チーム×14戦=70試合。 下位5チームの、1チームあたりの「後期」の試合数は、 対戦相手4チーム×14戦=56試合。 各球団はジャイアンツ戦のホームゲームを欲しがっているようですが、この 方式で、仮にジャイアンツが「後期・上位リーグ」を戦うとすると、「後 期・上位リーグ」の他チームが得るジャイアンツ戦ホームゲームは、前期4 試合+後期7試合=年間11試合。ちなみに現在のセ・リーグの各球団が戦う ジャイアンツ戦ホームゲームは、年間14試合。全てのチームに可能性がある んだから、3試合ぐらい減ってもいいよね?いつまでもジャイアンツ頼り じゃあ、そもそもダメなんだし。 「後期・上位リーグ」終了時点で1位と2位のゲーム差が「7」未満だった 場合は、1位と2位のチームで最大7試合のプレーオフをやる。この場合、 「後期」終了時点でのゲーム差はそのまま生かす。例えば、タイガースが1 位、ジャイアンツが5.5ゲーム差で2位だった場合、ジャイアンツはプレー オフで6勝以上しなければ優勝出来ない。タイガースは2勝した時点で優勝。 「前期」終了時点で7位以下だったチームは、もはや優勝の可能性が無いば かりか、試合数も減って、ものすごーく損をする。でも仕方ないでしょ。弱 いんだから。というわけで、「前期」から既に各チームは、6位以上のポジ ションを賭け、白熱した試合を繰り広げることでしょう。「前期」終了時点 で6位と7位のゲーム差が「1」以内だった場合は、プレーオフをやる。 さて、この結果「前期」7位以下だった5チームは、「後期」、何を賭けて 戦うのでしょう?それは・・・「トップリーグ残留」です。 【5.の為に】 …アメリカのベースボールやヨーロッパのフットボールが強いのは、層が厚 く裾野が広いからです。2軍リーグや社会人リーグではなく、独立した下部 リーグ、マイナーリーグを創設しましょう。マイナーリーグの上位1チーム は、トップリーグの最下位チームと毎年入れ替わります。 マイナーリーグの新チームは、トップリーグのチームが存在しない市町村を、 その本拠地としなければなりません。こうすることで「おらが町のチーム」 が増え、ファン層も広がります。そんな「おらがチーム」が頑張れば、来 シーズン、ジャイアンツと同じリーグで戦える可能性だってあるんです。あ るいは、「おらがチーム」が頑張らなくても、来シーズン、ジャイアンツが 同じリーグに落ちてくる可能性だってあるんですよ! 新規参入の球団は、必ずこのマイナーリーグから出発しなければなりません。 なんか近鉄買えなかったから新球団作るとか言ってるITバブル企業の社長 さん。マイナーから始めて下さい。そんなに熱意があるのなら、身の程を 知った上で、下部リーグ創設の為に、お金使って下さいね。 * * * この「改革案」、いかがでしょう?強いチームが、セ・パに分かれることな く競い合う。弱いチームは、「今年もBクラスか。まあ来シーズンがんばろ う」などと呑気なことは言っていられない。マイナーチームも、夢を持てる。 シーズン通して、今よりもずっと緊張感のある、厳しくも楽しい「プロ野球」 になると思いませんか? |
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| Kay'n wrote on September 8. 2004, 08:20 GMT |
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夏から秋への季節の移ろいに、恋の終わりや人生の変わり目を準えた歌は多 いけれど、ユーミンの「晩夏(ひとりの季節)」は名作だと思います。 ゆく夏に 名残る暑さは 夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭 ラジオから流れてくるこの曲を初めて聴いたのは中学生の頃でした。頭髪の 薄い、伊藤という先生がいて・・・などという台無しな話はさておき、この 歌詞の良いところは、移ろう季節と、暮れてゆく時の流れを重ね合わせ、か つその変化を「色彩」に的を絞って表現しているところです。 空色は水色に 茜は紅に 色彩と、色の名前が呼び起こすイマジネーションとが、何とも微妙なグラ デーションを織り成しています。 さて、微妙な変化を魅力としているのは、詞だけではありません。曲もま た、同様の「グラデーション」を表現しています。冒頭歌い出し部分の旋律 をCメロで書くと、 |
![]() 「14番目の月」荒井由実 ('76) | |
| |シドレミシーーー|・シドレミレドミ|シドレミシーーー|・シドレミレドレ| | ||
1〜2小節目と3〜4小節目はほとんど同じ音列ですが、コードだけが変化 しています。1〜2小節目は IM7、3〜4小節目は VIIm7 - III7 。異なる コードを伴いながら、同じ形のメロディを繰り返すことによって生まれる響 きの変化が素敵ですね。あたかも、照らされる光によって樹木や草花が様々 に表情を変える、そんな瑞々しさが感じられます。色彩と陰影の繊細な変化 が、音楽的に表現されているわけですね。 * * * 今年の秋は、どんな風に訪れるのでしょう。ドーン、台風来た!ザーン、雨 降った!まるで幕間を経た舞台のように、がらっと秋になるのでしょうか。 それとも、この雨が止んだら、夏日をもうしばらく繰り返しながら、少しず つ秋に変わって行くのでしょうか。 |
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| Kay'n wrote on September 5. 2004, 07:46 GMT | ||
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イングランド プレミアリーグ2004-2005シーズン開幕。4試合で16ゴー ルという驚異的な得点力で好スタートを切った我らがアーセナルである。16 ゴールの内訳を見てみると、アンリーが4、レジェスが4、ベルカンプが3、 ピレスが3、リュングベリが1、と、まさに決めるべき人がコンスタントに 決めている。昨シーズン途中から加入したレジェスは、シーズンオフ期間中 の十分な練習を経て、見違えるような連携を見せている。アーセナルのサッ カーが個人のポテンシャルの単なる集積ではなく、チームでの練習によって 実現されていることがよくわかる。 「内訳を全部足しても15にしかならない」って?そう。最後の「1」は、期 待の17歳スペイン人ミッドフィールダー フランセスク・ファブレガス Francesc Fabregas(※注)によるものだ。怪我で欠場中のパトリック・ヴィ エラの代わりにDMFを務めているが、全世界のアーセナルファンは現在この ファブレガスに驚嘆している。テクニック、スピード、運動量、プレイの正 確さは超一級。広い視野、絶妙なプレイ選択等、17歳とは思えない「司令 塔」ぶりだ。ゲームが膠着してくるとアイディアの引き出しが足りなくなっ てくるところはまだまだ若いが、正直、こんなに伸びているとは思わなかっ た。ヴェンゲル監督が育てた才能がまたひとつ、トップリーグの舞台に登場 した。 * * * 先日28日のノーリッジ・シティ戦では、非常に珍しいシーンが見られた。 「激しいキーパーチャージを受けたのに、レーマンがぶち切れなかった」っ て?確かに珍しかったが、今取り上げたいのはそれじゃない。「アンリーの ヘッドによるゴール」である。 前半36分、ペナルティエリア右からリュングベリが上げたクロスに、中央左 寄りに飛び込んだアンリーが頭を綺麗に合わせてゴール。(写真上)やれば 出来るんじゃん。 EURO2004の時にも書いたが、「アンリーのヘッドによるゴール」は、非常 に珍しい。地元イングランドでは、「もしアンリーがヘッドでゴールすると ころを見たとしたら、それはアンリーではない」という格言があるほどだ。 この際なので備忘録も兼ね、どれくらい珍しいかを以下にご紹介しておく。 |
![]() v Norwich C. 8/28/2004 ![]() v West Ham 1/19/2003 | |
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アーセナルに加入した'99-00シーズンから昨シーズンまで、アンリーがアー セナルで挙げたゴールは、プレミアリーグ以外の全ての試合を含めて、通算 112ゴールである。その内、ヘディングシュートによるゴールは、以下の4 つ。 <1> 2000年3月2日、UEFAカップ4回戦1st leg、アーセナル 5-1 デポル ティーボ・ラ・コルーニャ …アンリー2得点のうちの2点目。ペナルティエリア右チャンネルから プティが上げたフリーキックに、左6ヤードで合わせたもの。 <2> 2001年2月13日、UEFAチャンピオンズリーグ2ndステージ グループ C、リヨン 0-1 アーセナル …ペナルティエリア左ウィングからアシュリー・コールが上げたクロスに、 中央6ヤードで合わせたもの。 <3> 2001年3月6日、UEFAチャンピオンズリーグ2ndステージ グループC、 アーセナル 1-0 スパルターク・モスコウ …アシュリー・コールの左コーナーキックに、右6ヤードで合わせたもの。 <4> 2003年1月19日、プレミアリーグ第24節、アーセナル 3-1 ウェス ト・ハム …アンリー3得点のうちの2点目。71分、ペナルティーエリア左チャンネ ルからベルカンプが上げたアーリークロスに、右6ヤードで合わせたもの (写真下)。 ということで、先日のゴールはアーセナルでの通算5本目、プレミアリーグ での2本目、約1年半ぶりのものとなった。 * * * アンリーのヘディングシュートが少ないのは、アンリーのプレイスタイルに よるものであるだけでなく、アーセナルのスタイルにも起因する。浮き球の クロスに頭を合わせようとするのは、ほとんどのチームに見られる凡庸で工 夫のない、身体任せのギャンブリングな戦法だが、ヨーロッパの大会におい て、引いて守られた際に強引に得点するには有効だ。これまでのアーセナル の攻撃力に、新たなオプションとして加えられる価値はある。ひょっとした らアンリーは、EURO2004の後、ヘディングシュートを練習したのかもしれ ない。 昨シーズンを上回る得点力を引っさげ、今季のアーセナルは、チャンピオン ズリーグ制覇も確実に狙う。 注※)アクセシビリティが低く公共性に欠けるが故に、公共的コンテンツ の独占放送権などそもそも獲得する資格が無いにも関わらず、アクセシビリ ティを向上させる努力をしないばかりか、公共性の高い(=視聴希望者が多 く見込まれる)コンテンツをアクセシビリティのより低いチャンネルに囲い 込もうとする三流放送局「スカイパーフェクTV!」の三流スタッフは、こ の選手の登録名が"Fabregas"であり、ユニフォームの背中にも現地放送局の 字幕にも"Fabregas"と表示されているにも関わらず、スペイン時代の慣例だ か何だか知らないがこの選手の名前を「セスク」と表示し続け、挙げ句の果 てに先日の放送では「セクス」と誤表記までしていましたが、当ページでは 常識通り「ファブレガス」と表記します。 keywords: スカパー skyperfectv! 放映権 ファブリガス アンリのヘッド ノーリッチ ノリッチ ノリッジ デポルティボ |
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| Kay'n wrote on August 30. 2004, 21:47 GMT | ||
| シンクロナイズド・スイミングを観ていて思ったのだが、日本人はどうして こうも、「日本らしさ」を演出に取り入れることが下手なのだろうか。オリ ンピックのような世界の眼を意識した場において、特にその下手さが際立 つ。シンクロの、あの音楽は何なのだろうか?「日本らしさ」となると、何 故あんな「千鳥」風というかチャンバラ風というか、♪チャンチキチンみた いなのしか出てこないのだろうか?「日本らしさ」→「伝統芸能」、という 発想はわからなくもない。が、その取り入れ方があまりにも稚拙で安易だ。 伝統的音楽要素が、シンクロナイズド・スイミングという西洋の近代競技の 舞踊性に、全く親和していない。融合していない。「ロックバンドをバック に三味線弾いてみました」「篳篥(ひちりき)でポップス吹いてみました」 こういった物を「融合」とは呼ばない。「姑息な企画モノ」と呼ぶんです。 フュージョンを舐めるなよ。 思い出してみれば、'98年の長野オリンピックの開会式も、似たような「姑 息な企画モノ」性に満ちていた。「木遣り」だの「土俵入り」だのをただ羅 列しただけのものだった。そもそも演出家の選択からして間違っていたわけ だが。普段、ロンドンやニューヨークで既に評価が定まっているミュージカ ル作品を日本版に焼き直して作っているだけの人を、「日本を代表する演出 家」だと思い込んでいる人達の限界なわけだが。 さて、こういった作り手が何故こんなものしか作れないのかという原因は、 おおまかに言って以下の三つである。 1) 「外国」を理解していない・・・「こういうのが西洋人にウケる」と 思い込んでいるが、実は間違っている。西洋人はたしかに、自分達のコピー を受け付けず、エキゾチックなものを好むが、「エキゾチシズム」とは、西 洋人が「東洋的、日本的だなぁ」と思うもののことであり、西洋人が「何 じゃこりゃ?」と思うもののことではない。必要なのは、西洋人の日本文化 に対するイマジネーションを刺激する「パフォーマンス」であり、西洋人の 眼に珍奇に映るような「ナマの日本の伝統芸」ではないし「和風ギミック」 でもない。働くおじさん達が大きな丸太ん棒を上げたり下げたりするのを観 て、あるいは真冬の屋外でお相撲さん達がただのし歩くのを観て、西洋人が 「ああ、日本的だなぁ…」と感動するだろう、と考えたなら、それは余りに も無知というものだ。三味線の音色を使ってシンセで作ったチャンチキ音楽 を聞いた西洋人は、多少は面白がるかもしれないが、感動も興奮もしない。 2) 「日本」を理解していない・・・日本の舞台芸術にはたしかに「人形 振(にんぎょうぶり)」や文楽があるが、これらの動きはあのシンクロ・ デュエットの振付けみたいにカクカクしたものではない。日本の伝統的リズ ムは「間」によって作られるものであり、チャンチキチンで刻まれるもので はない。シンクロという競技の音楽にスピードやキレが必要なら、日本的な 幅とゆとりを持つ「決め」と「間」に西洋的な細分化されたビートが有機的 に絡む、といった、もっと高度な音楽手法が要求される。 3) 芸術の普遍性を理解していない・・・日本人が「良い曲だ」と思う音 楽が、必ずしも外国人に感動を与えるとは限らない。しかしながら少なくと も、日本人が誰も「良い曲だ」と思わない音楽は、外国人に感動を与えな い。あなたはあのチャンチキチンを聞いて、あの曲のCDを買いたくなりまし たか? 長野オリンピックの開会式と閉会式を通じて、最も人々に感動を与え、最も 人々の記憶に残っているのは、いちばん最後にAGHARTAが登場して「WAに なっておどろう」を演奏し、5万人の観衆と出演者と選手たちが入り乱れて 踊った、あのシーンだろう。手前味噌ですが。味噌といえば、あのアサリだ かシジミだかという名前の人の「演出」は直前で終わっており、あのシーン は「演出家」の手を離れたものだった。 「外国」も「日本」も「文化」も理解していない「演出家」が、世界に感動 を与えるのは無理。「外国」も「日本」も「音楽」も理解していない「作曲 家」が、日本シンクロに芸術点10点満点をもたらすのは無理である。誰が どういう基準で選んでいるのか知らないが(本当は知ってるけど)、こんな 制作者を人選するに当たって費やされた努力などというものはおそらく、過 酷なトレーニングを4年間積み重ねて来たアスリート達が流した汗の一滴に も満たない。 keywords: シンクロナイズドスイミング 大沢みずほ 浅利慶太 アガルタ |
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| Kay'n wrote on August 26. 2004, 19:31 GMT |
| もひとつ言っておくと、 世界最高でない競技会は、世界最高でない審判が仕切る。 世界最高でない審判は、 試合の質が落ち、結果の価値が下がると、その競技会の価値が下がる。 競技会の価値が下がると、さらに技量の低い審判が仕切る。 技量の低い審判は、 D.S. |
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| Kay'n wrote on August 20. 2004, 18:52 GMT |
| アテネオリンピック柔道女子-63キロ級での谷本歩実選手の金メダルには、 本当に感激させられた。一本背負いが一発では決まらず、必死に耐える相手 の右袖を引き裂かんばかりに再び全力を込めた、あの最後の投げを観ていた 人は皆、心の中で一緒に何かを投げ飛ばしたに違いない。「ひたむきさ」 「集中力」という言葉を体現したかのような試合前の様子、そして身体の底 から喜びを爆発させた試合後の表情。インタビュアーの眼を真直ぐに見てそ らす事無く答えていた谷本選手の言葉は、輝いていた。いかにも流行語大賞 狙いの、事前に考えてあったような誰かさんの超きもちわる〜いセリフとは、 大違いだ。 * * * オリンピックは、4年に一度開かれる世界最高の競技会なわけだが、種目に よっては「オリンピックが世界最高の大会」でない競技もある。陸上、体 操、水泳などは、オリンピックが世界最高の晴れ舞台だ。しかし、野球はそ うじゃない。日本がキューバに勝ったからといって、べつにどうでもいい。 テニスも同様。4大大会の興奮には到底及ばない。種目によって、そのテン ションと興奮に大きな差がある。 観ている人間だけでなく、参加選手達にとっても、この「世界最高の大会か どうか」は大きく影響するのかも知れない。男子サッカー選手にとって、世 界最高の大会はワールドカップであり、オリンピックではない。監督が「ア テネ経由、ドイツ行き」などと言っているチームに、「大阪(世界柔道 2003)経由、アテネ行き」の選手と同じ集中力と爆発力を望むのは、無理 なのかも知れない。 今さらオリンピックにアマチュアリズムを要求しようとは思わない。誤解し ている人が多いが、オリンピックにおける「アマチュアリズム」とはそもそ も、スポーツでお金をもらう必要が無く、名誉の為だけに競う事の出来るア スリート達が、「金の為に身体を張ってスポーツする下賤な者達」を閉め出 す為に提唱した、階級社会に根ざした思想だった。そんな「アマチュアリズ ム」はもはや時代錯誤だ。しかしながら、他に様々な目標を抱えたプロ選手 が中途半端な野心で、「参加する事に意義がある」とか言いながら参加する オリンピック種目は、果たしてオリンピックに相応しいだろうか?もう一度 レギュレーションを見直し、種目をシェイプアップする必要があるのかも知 れない。 ワールドカップがまだ4回の歴史しか無い女子サッカーにとって、オリン ピックは世界最高の舞台だ。女子バスケにとってもそうだ。オリンピックで 金メダルを取る事が、最高の目標である全てのアスリート達、がんばれ。そ して、その目標を見事果たしたアスリート達、おめでとう。 |
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| Kay'n wrote on August 18. 2004, 01:15 GMT |
| to ERK, 相変わらず最新トピックスの見事なスルーっぷりですね。ヤラレタ・・・ 「WAになっておどろう」のリズムは実はブラジリアンなので、ノリを出す のはなかなか難しいんです。特に小編成だと。それにしても、ドラム+キー ボード+ダンサーってのは前衛的だなあ。 |
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| Kay'n wrote on August 10. 2004, 19:05 GMT |
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1982年、アルゼンチンは、自らが「マルビナス諸島」と呼び、かねてから 領有権を主張してきたイギリス領の島に軍を進め、これを占領した。イギリ スは40隻の大艦隊を派遣して対抗し、およそ2ヶ月に渡る戦闘の後、この 南大西洋上の領土を奪還した。俗に言う「フォークランド紛争」である。 同年に開催されたワールドカップ スペイン大会において、アルゼンチン、 イングランド両国が相まみえる事無く早々に敗退してしまった事は、不幸中 の幸いだった。しかしその4年後、因縁の対決は、ついに実現される事とな る。 1986年ワールドカップ メキシコ大会準々決勝、アルゼンチン対イングラン ド。共に熱く荒々しい応援ぶりで知られ、スタジアム内での流血沙汰も珍し くない両国である。フットボールの上でも、'66年イングランド大会準々決 勝での対戦(ENG 1-0 ARG)以来のライバル関係にあった。ましてや、戦争 の記憶も生々しく国交断絶状態の両国がぶつかり合うのである。国家的な威 信が掛からないはずはない。ガンベッロ達は雪辱を誓い、フーリガン達は戦 争犠牲者の復讐を宣言したはずだ。そして、試合は当日を迎える。 果たして、アルゼンチン人とイングランド人は、互いに観客席を隔離された だろうか?互いに物を投げ合っただろうか?相手の国旗を燃やし合っただろ うか?互いを侮辱する横断幕を掲げ合い、口汚い罵声を浴びせ合っただろう か? 答えは、全て「ノー」である。観客席では両国人が混ざり合って席を占め、 ユニオン・ジャックの隣でアルゼンチンの国旗が振られた(写真)。11万人 が埋め尽くすアステカ・スタジアムに「ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン」が 高らかに鳴り響いた時、圧倒的な多勢を占めたアルゼンチンサポーターは黙 して起立し、「敵国」の国歌を、静聴した。 51分、あの短躯ですばしこいアルゼンチンの10番がレフェリーの眼を盗み、 右手でゴールを決めた時、イングランドサポーターは憤怒の塊と化したはず だ。しかしスタジアムに暴動は起こらなかった。そしてそのわずか4分後、 同じ選手が奇跡のようなドリブルで2点目を挙げた時、イングランド人を含 めた全世界の目撃者達は、それを賞賛せずにはいられなかった。不世出の天 才ディエゴ・マラドーナの神話と、この世紀の名勝負の伝説は、これらの全 ての人々によって生み出されたのである。 |
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サッカーの国際試合に疎い人は、以下の話をよく読んで理解して欲しい。 実のところ、政治とスポーツを分けて考える事など、不可能である。国際試 合には常に国家的な威信が絡み、国民的心情と闘争心が絡む。サッカーが原 因で起こった戦争もある。日本代表が北朝鮮代表と対戦して惨敗すること を、私は許さないだろう。それは紛れも無く政治的な理由からである。ス ポーツ、特にサッカーの国際試合と、国家間で抱かれる歴史的・政治的心情 は、常に不可分なものである。必要なのは、そのどうしても切り離せない心 情をぐっと堪え、その反発力を「眼の前のサッカー」に注ぎ込むちからだ。 サッカーという競技における合法的な勝利の為に注ぎ込むちからだ。選ばれ てピッチに立つプレイヤー達への敬意を保持し続けるちからだ。このちから こそが、サッカー国際試合における「文化程度の高さ」「民度の高さ」なの である。文化程度の低い者、民度の低い者は、国際大会のスタジアムに足を 踏み入れてはならない。 国や時代を問わず、暴徒やならず者は必ず存在する。彼等に理を説いても、 それは無駄な事だ。理が通用しないから、「暴徒」なのである。必要なの は、暴徒をスタジアムから力ずくで閉め出すちからだ。対戦両国は暴徒の渡 航を禁止し、開催国は暴徒のスタジアム入場を禁止する、それらのちから だ。上記のワールドカップ大会に際しても、地元メキシコの警備は厳重なも のだっただろう。アルゼンチン、イングランド両国の暴徒対策も徹底したも のだったに違いない。このちからこそが、サッカー国際試合における官の 「統治力」なのである。そしてもし混乱や暴挙を防ぎ得なかった場合、自ら の力不足を認めて謝罪し改善する。それが官の責任だ。統治力が低い国、そ の責任を転嫁する国は、国際大会に参加してはならない。ましてや自国開催 など、決してしてはならない。 日中友好だの平和の祭典だの、歴史的にどっちが悪いだの悪くないだの、国 民感情が理解出来るだの出来ないだの、中国人にも友好的な人はいるだのい ないだの、日本人だって似たようなものだのどうだの、日本人の観衆が政治 的主張を掲げないのは平和ボケで政治に無関心だからだのどうだの、マスコ ミが誇張しているだのいないだの、政府が介入しただのしないだの・・・ といった議論によって理解されたり正当化されたりするものは、サッカーの 国際試合に関しては、何ひとつとして無い。 必要なのは、決して解決されることが無いかも知れないその心情や屈辱や闘 争心の全てを抱え込んで、背負って、その重さのエネルギーを「サッカー」 という競技とその応援に向かって昇華させる、そのちからである。勝者は敗 者を蔑む事無く、ただ歓喜に酔う。敗者は勝者を貶める事無く、声を封じて それを眼に焼き付け、歯を食いしばって家に帰る。そして、4年後の捲土重 来を期して待つ。これらの「ちから」を持つ者のみが、この素晴らしいス ポーツの一部になれる。サッカーの歴史は、そんな者達のちからによって創 られて来、これからも、創られてゆく。サッカー国際大会の頂点であるワー ルドカップは、だからこそ、これほどまでの栄光と伝説に彩られているのだ。 |
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| Kay'n wrote on August 9. 2004, 12:27 GMT | ||
| ニッポンよくやった!君たちは偉い!90分間、集中力を切らさず、冷静さを 失わずよく闘った。2点目は、不正確な審判のジャッジすらも味方につけ た。かまへんかまへーん。マラドーナの「神の手のゴール」だって、次の 「5人抜き」で正当化されたのだ。君たちの2点目も、3点目で完全に正当 化された。ましてや君たちは、これまで散々な不公平を耐え抜いてきたのだ。 私は今までに、これほど日本代表を愛したことは無かった。愛させてくれて 有難う。玉田は偉い。試合後のインタビューでもいいこと言った。玉田は マッチに似ている。君たちは偉い。中国人の酷さを、こんな風↓に全英語圏 に告げ口せずにはいられない私なんかより、ずっとずっと偉い。 |
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| Kay'n wrote on August 7. 2004, 22:45 GMT |
Japan has won AFC Asian Cup 2004 by a thorough victory against |
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| Kay'n wrote on August 7. 2004, 22:17 GMT |
| 海外の文化に接すれば接する程、理解すれば理解する程、以下の事を感じる。 私は日本人だ。だから、日本の文化を愛したい。日本の音楽を愛したいし、 日本のサッカーを愛したいし、日本のメディアを愛したい。だから、それら を台無しにする奴等を、許さない。 私はアジア人だ。だから、アジアのサッカーを愛したい。アジアのトーナメ ントを、欧州選手権を楽しむように、楽しみたい。アジアの大会を誇りたい し、その勝者を誇りたい。だから、それらをぶち壊しにする奴等を、許さな い。 私は、日本の、アジアの、一部だ。同様に、日本は、アジアは、私から切り 離したくても切り離せない、私の一部だ。日本代表は、私の一部であり、ア ジアカップの勝者は、私の一部だ。アジアカップのホスト国は、私の一部だ。 だから、出来る事なら、私はそれらを愛したい。それらを誇りたい。 私がノースロンドンのクラブチーム アーセナルを愛するのは、それが私の 一部だからではない。それは、あこがれだ。理想だ。アーセナルには美しさ を求める。アーセナルが勝っても、私はそれを誇らない。ただ、その瞬間を 見る事が出来た事実に感謝し、その素晴らしさを誰かと共有しようとするだ けだ。アーセナルが負けても、私は彼等を憎まない。ただ、その理由を考え 込むだけだ。 しかし、私の一部である何かを台無しにする者があったなら、私はそれを許 さない。それらをぶち壊しにしようとする奴等 -- ホスト国、観衆、審判 -- を、短期間に啓蒙することが可能ならば、そうもしよう。しかし、それ は不可能なのだ。可能なのは、叩き潰すことだ。切除することだ。奴等に対 して、合法的かつ圧倒的な勝利を記録することだ。 民放テレビ風の文句にも、真実はある。「絶対に負けられない闘いが、そこ にある。」アジアカップ決勝 日本対中国。絶対に勝て。何があっても勝て。 形なんてどうでもいい。美しくなくていい。勝たない「日本」を、私は愛さ ない。 |
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| Kay'n wrote on August 6. 2004, 19:11 GMT |
| 1989年、NHKと中国中央電視台との共催で、「日中歌謡祭」というイベント が計画されていた。歌で日中友好をはかるこのイベントの為に、スタッフは 長い時間と労力と制作費を使って準備を整えた。本番日も近付き、日本人ス タッフと出演者が北京に入り、最終的なリハーサルを行っていた時、天安門 事件が起こった。北京には戒厳令が布かれた。結果的にこの年の「日中歌謡 祭」は中止となり、関係者の労力と「貴重な受信料」は、無駄になった。 天安門事件は予測不能な事態であり、致し方ない事である。しかし、問題な のは、「中止の決断」の際の中国人の態度である。 国際的な常識から考えれば、自国に招いた「来賓」である他国民が危険にさ らされる可能性のあるこのような場合、招いた側が責任を持って主体的に 「中止」の判断を下すべきである。「滞在されている外国の皆さんの安全を 確保出来る保証がありませんので、残念ながら中止せざるを得ません」と言 うべきである。しかしながらこの時の中国中央電視台サイドの責任者は、 「日本の皆さんの安全を確保出来る保証はありません。さて、あなたがたは どうしますか?」と、日本人に向かって尋ねたのだ。これほどの大きなイベ ントを中止すれば、当然様々な損害が双方に生ずる。この「中止の判断責 任」を、中国人は自ら負おうとせず、日本人に押し付けたのである。 もちろん、このエピソードひとつをもって中国全体を語るわけにはいかない し、今回のアジアカップでの中国人の態度を取り上げて中国全体を語るわけ にもいかない。しかしながら、これらの「部分」を得てして生み出す国民的 な精神態度は、中国が確実に所有しているものであり、今後、国際的な文化 イベントをこの国で行わせるべきかどうかを判断する上で、重要な要素のひ とつである。 それが不測の事態であること、「部分」であることなどを理由に、自らの責 任を可能な限り軽減しようとし、「客」である他人に転嫁しようとし、問題 が実は「全体」の性質が生み出したものである可能性を認めようとしない 「ホスト国」は、電車の中で走り回って迷惑をかける子供を叱る他人に向 かって「子供のすることですからそこまで言わなくても」と逆に非難の眼を 向ける馬鹿親と同じであり、数千万円の横領事件について「ひとりの馬鹿な 職員がやったこと」と発言するNHK会長と同じであり、顧客のクレームの主 旨を理解するまでに小一時間もかかる上に「商品を配送に出した時点で当社 の義務は完了します」との主張をただ繰り返し、再発送も「メール便」で行 う、頭の悪いアマゾンのカスタマーサポートと同じである。 keywords: 中華人民共和国 ブーイング 反日 |
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| Kay'n wrote on August 5. 2004, 10:58 GMT |
| 通信販売事業者 アマゾン ジャパン(株)(以下、アマゾン)は、厚みの小 さい商品の配送には、宅配業者の「メール便」なるサービスを使用する。 この「メール便」には、以下のようなリスクがある。 ・通常の宅配便と異なり、配送状況を追跡・確認することが出来ず、配達 記録・証明も残らないので、紛失・誤配達の場合、それを確認・証明出来 ない。 ・顧客の郵便受けに投函される為、盗難の危険性が高い。 「メール便」のトラブル例は、インターネット上でも多数報告されているよ うだ。加えて、この「メール便」による配送に関するアマゾンの方針には、 以下のような問題がある。 ・「メール便」には、商品がコンパクトディスク1枚であっても、縦横約 35×27cmの封筒が使用される。この封筒は通常の家庭用郵便受けに入り 切らず、投函口からはみ出るので、盗難の危険性が高い。 ・上記の封筒は、圧迫に対して内容物を保護する構造になっておらず、商 品破損の危険性が高い。 ・どんな場合に「メール便」が使用されるのかについて、同社ウェブサイ トには、「一定の大きさおよび厚さ以内の商品」とのみ記載され、具体的 に明記されていない。「『メール便』による配送」は、アマゾンから顧客 に対して一方的に通知され、顧客はCDや書籍を数点まとめて注文し荷姿 を大きくする以外、この配送手段を選択拒否することが出来ない。 さて、私は最近になって、「メール便」に伴う内容物の破損、配送中の紛失 (あるいは盗難、誤配達)をたて続けに経験した。この件に関するアマゾン とのやりとりを通じて、アマゾンという業者の、以下のような問題点が明ら かになった。 ・アマゾンは、「利用規約」の中に記載されている 商品を配送業者に引き渡した時点で、その商品に関する紛失のリスクと 権利はお客様に移ります。 という条項を強調し、問題の多い「メール便」を一方的に選択しているの は同社であるにも関わらず、配送トラブルに関する責任を負わないことを 明言した。 ・アマゾンは、宅配業者から「配達した」という報告を受けた場合、それ を証明する手段が無いにも関わらず、「配送が完了した」という立場を主 張し続けることを明言した。 ・アマゾンは、配送トラブルの際、多くの場合は自社の負担で再発送を行 うが、これは同社の「厚意」であり、顧客に対して何ら保証されたもので はないことを明言した。 ・アマゾンは、発送時と配送トラブル判明時の在庫状況の変化によって、 再発送が著しく遅れた場合でも、最初の発送時に顧客のクレジットカード にチャージされた代金は取り消されず、金銭的補償は一切行われないこと を明言した。 これまで私は、このページで書籍やCDを紹介する際、アマゾンの同商品 ページにリンクしてきましたが、この度、上記の理由で、アマゾンという 通販業者が、とても皆さんにお薦め出来る優良通販業者とは言えないこと がはっきりしましたので、全ての商品リンクを削除いたしました。 keywords: 劣悪業者 Amazon.co.jp 詐欺 通信販売 トラブル 皆さんもお気を付け下さい。 * * * ちなみにDesert Island Recordsでは、日本国内への発送は普通郵便にて 行っております。配送リスクはありますが、「メール便」ほどではありませ ん。発送に際しては、圧迫に強い必要最小サイズの梱包材を使用しておりま すし、万が一商品が届かない場合、配達記録郵便による再配達を保証してお りますので、安心してご利用下さい。 |
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| Kay'n wrote on August 3. 2004, 15:24 GMT |
| 中国観衆、異様な反日ムード…サッカー・アジア杯 反日的観客、日本人サポーターにいやがらせ…アジア杯 2002年ワールドカップにおける韓国もそうだが、こういう国は、国際大会の 開催国を勤める資格が無い。AFCは、中国代表チームに対してペナルティを 課すべきだ。 日本代表チームには、こういった文化程度の低い人々を大喜びさせないよう なゲームをお願いしたい。 keywords: 中華人民共和国 ブーイング 反日 |
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| Kay'n wrote on August 1. 2004, 07:30 GMT |
During AFC Asian Cup 2004 China, the people of the host country are | ||
| Kay'n wrote on August 1. 2004, 06:57 GMT |
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辛く汚れた話題の後は、良い音楽を聴いて心を浄化しよう。 "Blue Light 'Til Dawn" Cassandra Wilson (1993) まず、音楽に集中出来る環境を作って欲しい。可能な範囲で最も良いクォリ ティの音響機器を使用し、十分な音量レヴェルを確保して欲しい。そして、 このCDをプレイヤーにセットし、冒頭から再生する。眼は閉じても閉じなく てもいいが、視覚的情報は断ち、聞こえてくる音に全神経を集中させて欲し い。楽音だけでなく、喉を通過する息、弦の軋み、弓の擦り音、木の響き、 それらの全てを、一音たりとも聴き逃さないで欲しい。そうすれば、この音 楽の奇跡が、あなたにも見えるはずだ。 * * * ヴォーカリストのアルバムではあるものの、これはギタリスト必聴の作品で ある。トラック1 "You Don't Know What Love Is"は、様々なジャズ・アー ティスト達によって歌われ、奏でられてきたスタンダードナンバーだが、ギ タリスト ブランドン・ロス Brandon Rossのアレンジ/演奏によって、新た な命を吹き込まれている。「オープンE♭(♭9,♭13)」とも言うべき変則 チューニングによって繰り出されるコードフォームの、独創的な響き。ア クースティック・ギターの可能性がこれでもかと追求され、開拓されてい る。以下に、イントロ部分を譜例として引用し紹介しておく。 |
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1、2弦は、弾かない時でもミュートしないこと。括弧()内の音はピッキン グせず、左手のスライディングのみで鳴らすこと。 これもまた、2、3弦の半音程を強調した響きである。左手が弦を擦り上げる 音までも、音楽として取り込んでいる。解放弦の煌めきと、中低弦ハイポジ ションの妖しい暗さとが織り成す、危険な陰影。 * * * このアルバムは全てが素晴らしいが、特にトラック2 "Come On In My Kitchen"、トラック5 "Hellhound On My Trail"は、数あるロバート・ジョンソ ンのカヴァー作品の中でも、ベスト・レンディションと言えるものである。 |
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| Kay'n wrote on July 30. 2004, 20:20 GMT | ||
| はい、その通りですよ。この事件の舞台は、まさに私がNHK時代に在籍して いた部局であり、この事件の当事者達は、いずれも私がよく知る人達です。 メディアに関して、普段このページで言いたい事をハッキリ言っている私 が、この「NHKプロデューサー、制作費着服」の事件について口を噤んでい るのも不自然だし、ここ数日、妙に多いアクセス記録からも、無言のプレッ シャーを感じるので、ここで、今言えることのみ記します。 * * * 感想をひとことで言うと、「とうとうバレたか。」ってことですね。今後芋 づる式に、他の事実も引きずり出されて来るでしょう。今回処分されたプロ デューサーの着服金額を上回る事例が明るみに出るかも知れません。で、そ の当事者は既に故人だったりするかも知れません。 「おまえ、今になって事情通ぶってそんなこと言うけど、じゃあなんで今ま で告発しなかったんだよ?おまえも同罪だ」とおっしゃる方もおられるで しょう。ごもっともです。だけど、NHK在職当時の私は、こういった巨額の 横領の証拠を掴む権能を持ったポジションにいなかったんですよ。小さい横 領なら証拠も掴んでましたけど。プロデューサーとしてある番組の担当にな れば、当然、その番組の過去の収支決算の内訳を見ますし、妙な支出があれ ば前任者の経理処理実績を遡って調べます。「こいつ、こんなに飲み食いに 使ってやがる」なんてのはよくある話でした。あと、前任者が懇意にしてい た音楽事務所の社長から、暗にギャラの二重払いを要求されたこともありま した。その前任者に問い正すと「まあ、あんまり目くじら立てないで、上手 いことやってよ」、みたいなね。当然そういうのは全部、上司に報告しまし たよ。でも、会社組織の中では、私の責任はそこまででした。怪文書流して やろうかと思ったこともあるけど、週刊誌のネタになるほどの規模でないこ とはわかっていたので、流しませんでした。 芸能系の番組プロデューサーなどをやっていると、付き合う相手というのは 当然、芸能人や芸能事務所の社長達。みんなセレブでお金持ちなわけです。 で、気を付けなければいけないのは、こういう人達と付き合っていくうちに、 だんだん自分もセレブであるかのように勘違いしてしまうことなんです。サ ラリーマンなのにね。NHK職員の給料に関してはいろいろ噂されているよう ですが、はっきり言って同業他社よりは安いです。だから、懐具合がセレブ じゃない。でも芸能人や社長さん達と一緒に、飲み食いもしたいし、ゴルフ も行きたい、良いクルマにも乗りたい、と。で、無理しちゃうんですね。ち なみに私は昔から、「おいしいお酒は酒屋で買って来て、家で飲む。」派で すし、「食べたい料理は自分で作る。」派ですし、今はクルマ無し生活です し、ゴルフは打ちっぱなしにすら行ったことがありません。 とはいえ、実際の仕事の現場において、打合せが夜になれば、メシ無し酒無 し、というわけにはいきません。相手先に奢ってもらうばかり、というわけ にはいきません。私だって「夜のミーティング」を番組制作費で賄い、その 後タクシー券切って帰宅したことはありました。以前ここに書いた、「さと うきび畑」の為のディナー・ミーティングの費用も、制作費です。「打合せ の為に、貴重な受信料を費やしてホテルのチャイニーズ・レストランで飲み 食いする必要があるのか」と怒られるかも知れません。ごめんなさい。で も、これら全てを断ってたら仕事にならないし、これら全てに自腹切ってた ら、生活して行けません。さらに、私は自分が予算を管理するプロジェクト で、赤字を出したことは一度もありません。「完全にクリーン」とは言えな いかも知れません。でも私は自分のやって来たことに後ろめたさはありませ ん。いま自分の使っているお金が他人(=視聴者)の金であることを忘れた ことは無いし、いま自分が使った以上の価値のあるものを他人に還元してい る自信があったからです。 * * * 横領は罪です。揉み消しも駄目です。どんなに面白い番組を作っても、これ らが擁護されるはずは無い。このことを当然のことと認めた上で、話してお きたいことがあります。 今回懲戒免職となった磯野克巳チーフ・プロデューサー、そして停職6か月 の処分を受けた天海修一・芸能番組センター長は、ふたりとも私がNHK時代 にたいへんお世話になった先輩/上司です。金銭的に、じゃないですよ!仕 事の上で、です。彼等「悪玉」ふたりは、ディレクターの能力や才能を見抜 いて評価し、バックアップするという面では、長けていた人達だった。少な くとも私はこの人達のおかげで良い仕事をさせてもらったことがあるし、 ディレクターとして働き易かった。一方、「週刊文春」に実名で登場し「内 部告発」している「善玉」プロデューサーは、以前ここに書いた「私がキレ た『ポップジャム』のAP」その人だったりする(苦笑)ので、私の心情は複 雑です。もし私がNHKを辞めないで、あのまま働いていたとしたら、今回の 事件に巻き込まれていたかも知れません。どちらに「付く」かと問われたら、 正直ちょっと悩んだかも知れません。いずれにせよ、NHKはこの「善玉」P を、出世させない訳にはいかなくなりましたね。そして、「仕事は出来るけ ど、灰色」な人達は、全員粛正されるんでしょうね・・・あ、ちなみにさっ き私が書いた「怪文書流してやろうか」と思った「前任者」は、「仕事が出 来なくて、灰色。」な人でした。 * * * 「メディアの人間として音楽を“伝える”だけでなく、自ら“創る”」こと を望んで、私はフリーになりました。“創る”ことは、会社を辞めなくても 出来たかも知れない。しかし、私は辞める必要があったんです。テレビ局に 勤めるということは、音楽業界に対して「仕事をあげる」「ギャラを払う」 「プロモーションしてあげる」立場です。一方、自分が音楽や舞台を創って 仕事しようと思うと、逆に音楽業界から「仕事をもらう」「ギャラをもらう」 立場になります。これらふたつの立場を完全に切り離すのは、難しい。「仕 事あげるから、仕事ちょうだい」「仕事もらったから、仕事あげる」という 利益の癒着関係から自由であり続けることは、非常に困難です。だから私は、 「仕事を供給する立場」を捨てる必要があった。この業界で、誇りを持って 生きていくのはたいへんです。派手な活動を求めるあまり、利益の癒着関係 にいったん巻き込まれたら、二度と抜け出せなくなってしまうのです。 今、この事件を自分自身の問題として考えた時に言えることは、「あの時あ の会社を『イチ抜けた!』する必要がある、と考えた自分の判断は、正し かった。そうしておいて、よかった」ということです。いくら自分個人の仕 事に誇りが持てても、所属する組織や一緒に働く仲間に誇りが持てないの は、とても辛いことです。 ※記事内容の無断転載を固く禁じます。 |
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| Kay'n wrote on July 24. 2004, 13:02 GMT |
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大好きな指揮者のひとり、カルロス・クライバー Carlos Kleiber 氏が亡く なった。 * * * 指揮者は、大オーケストラを前に、様々な身振り手振りを行う。聴衆の中に は、指揮者があの手振りによってオーケストラをコントロールし、あたかも 演奏家が楽器を奏でるようにオーケストラをリアルタイムに「奏でて」いる と思っている人が多いが、実際はそうではない。 指揮者の仕事の9割は、リハーサルを終えた段階で完了する。指揮者はリ ハーサルを通じて、曲の精神的解釈(=音楽に表現されている抽象的概念) 及びそれを実現する為の技術的解釈(細部のテンポ、音量、音価、音色等) の全てを、オーケストラに伝授する。これらの情報量は膨大で、仮に手が8 本あったとしても、リアルタイムに伝え切れるものではない。指揮は、手旗 信号ではない。聴衆はよく、「誰某の棒のテクニックによって、これこれこ のような音楽が生み出されている」などと言うが、見当はずれである。だい いち、オーケストラの演奏者はコンサートの本番において、始終指揮者を注 視してなどいない。せいぜい視界の端に捉えている程度である。演奏者はほ とんどの時間帯、同僚の出している「音」に集中している。本番で演奏者が 指揮者を注目するのは、音の出始めとテンポの変わり目、音の消え際ぐらい のものだ。 指揮者がことさらに英雄的な身振りをしなくても、優れたオーケストラは、 リハーサルで伝えられた音楽的解釈を、忠実に実現する。指揮者が拳を掲げ てぶるぶる震わせなくても金管楽器は咆哮するだろうし、左手を小刻みに揺 さぶらなくても弦楽器は情熱的なヴィブラートを奏でるだろう。爺さんが恍 惚の表情を作って見せてくれなくても、オーケストラは甘い旋律を歌うだろ うし、少ない髪を振り乱して眼を剥かなくても、激しさを表現するだろう。 これらは全て、リハーサルで既に演奏者に伝えられたものだからである。聴 衆がしばしば「感動」するこれら指揮者の身振りは、そのほとんどが、リ ハーサルを見ることの出来ない(仮に見たとしても何をやっているのかわか らない)聴衆に向けてのパフォーマンスなのである。リハーサルで「俺が伝 えた、仕切った」という事実を、指揮者は聴衆の眼前で象徴的に演じている のである。ベンチを飛び出して4thオフィシャルの制止も顧みずテクニカル エリアを逸脱し、大観衆の騒音に掻き消され選手に聞こえるはずのない指示 を、大きな身振りと怒声で与えようとしているサッカーチームの監督と同じ だ。 ならば、コンサート本番での指揮者は無用の長物なのか?そうではない。指 揮者は舞台上で棒を振ることにより、残りの1割の仕事をしている。それは 何か?それは、以下の「3つの"re"」である。 "regulate"・・・音の出始めのタイミングやテンポ、音の消え際のタイミ ング等を明示することにより、多人数の演奏者達が自主的にはアンサンブ ルを形成し辛い部分を「統制する」 "remind"・・・演奏者に対して、リハーサルで伝えた大切なニュアンスを 「思い出させる」 "reinforce"・・・オーケストラの力を120 %まで引き出す為に、本番な らではの「勢いをつける」 コンサート本番における指揮者の、これら3つを目的とする以外の身体活動 は、全て聴衆に向けての視覚的パフォーマンスであり、音楽的には無駄なも のである。 |
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前置きが長くなった。本題に入ろう。カルロス・クライバーは「振らない指 揮者」として有名だった。おそらく完全主義者であった彼は、極く限られた レパートリーのみしか「振らない指揮者」であったし、ただでさえ少ないコ ンサートをしばしばキャンセルする、という意味でも「振らない指揮者」で あった。特定のオーケストラの音楽監督に就任することは無く、「ベートー ヴェン交響曲全集」をリリースすることなど、決して無かった。さらに、本 番での指揮においても、曲の途中で文字通り棒を振ることをやめてしまう (音楽を止めるのではない)のであった。聴衆の眼には、この上無く個性的 な指揮者として映ったことだろう。 しかしながら本当のところ、C.クライバーの指揮は、常に基本に忠実であ り、必要にして十分なものだった。曲の途中で棒振りを止めるのは、その部 分で棒を振る必要が無いからだ。「振らない指揮者」は、言い換えれば「音 楽的に無駄なことをしない指揮者」なのである。聴衆には珍奇に見えただろ うが、演奏者にとってC.クライバーの指揮は、極めて見易く、極めて理に 適ったものであった。 ここに一枚のレーザーディスクがある。「ベートーヴェン 交響曲第7番」 1983年、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏を収めたものである(写真は DVD盤)。 冒頭、拍手によって迎えられたC.クライバーは、背筋を伸ばしてただ指揮台 に立つ。威厳を込めて楽団を睨め回すこともなければ、頭を垂れてしばし黙 想することもない。楽員達が楽器を構え、C.クライバーが1拍、大きくはっ きり空振りすると、オーケストラはAメジャーの和音を心地よく鳴らして、 第一楽章が始まる。テンポは原譜の指示通りである。不必要に揺れることの ないインテンポを、C.クライバーはシンプルに振る。重力に委ねて振り下ろ し、見えない机の上で跳ね返るように振り上げる。振幅の距離で音量を表 し、2点間の運動の速度でアーティキュレーションを表す、という、基本通 りの指揮法である。6小節目からかっちりと叩き始めることにより、演奏者 達は4分音符に内包された最小単位のビートを共有し、2小節後に登場する 16分音符の連なりが「レギュレート」される。左手の繊細かつ大胆な動き で、音符ひとつひとつの性格と意味が、オーケストラに対して「リマイン ド」される。 60小節目からの16分音符が、来るべき6/8拍子の音価を予感させて、ヴィ ヴァーチェ。4小節間でテンポの変化とクレッシェンドを統制し、フルート による第一主題を招き入れれば、もう大丈夫。C.クライバーが振るのを止め てしまうのは、こんな時だ。8小節の間、腕を下ろしてバトンをおさめ、に こやかに聴き入っている。滑らかにクルージングしている時、ドライバーは 足をアクセルの上に軽く乗せておくだけでよい。チームにリズムが生まれて いる時、監督はベンチに腰を下ろし、見守っていればよい。棒を振る必要な ど無いのである。 C.クライバーは、本当にこの音楽を楽しんでいるようだ。スフォルツァンド を煽り、ホルンの誇らしく高らかな雄叫びを全奏と共に楽しんだ後、弦と木 管のコール&レスポンスによるクレッシェンドを先導する彼の動きは、まる で草原を駆ける騎手のようだ。駿馬は乗り手の幸福を共有することにより、 より生き生きと走る。こうしてオーケストラは「リインフォース」されてゆ く。 * * * 第2楽章を、重苦しい葬送行進曲として扱う指揮者も多いが、カルロス・ク ライバーのそれは、どこか軽妙さすら漂わせる、なだらかで美しい「アレグ レット」である。訃報が世界に発信されたのは、死去の6日後であった。カ ルロス・クライバー氏にとって、亡き夫人の故郷で迎えたその死が、静かな ものであったことを信じたい。 |
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| Kay'n wrote on July 21. 2004, 09:48 GMT | ||
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ロバート・ジョンソンは、素晴らしい。偉大である。さて、どこが素晴らし く、何故、偉大なのだろうか? 「R.ジョンソンは、後世のブルーズ/ロックアーティストに大きな影響を与 えたから。」と、よく言われる。実際、エリック・クラプトンやローリン グ・ストーンズ等は、「影響を与えられた」と語っている。評論家達の言う ように、これらのロック・アーティストに影響を与えたから、凄いのか?本 末転倒である。影響を与えたから素晴らしいのではなく、素晴らしいから影 響を与えたのだ。ならば、どこが素晴らしいのか?同じく評論家の言うよう な「声の表現力」「精神性」などは、聴く人誰にでも伝わる要素であり、R. ジョンソンのそれらも、もちろん彼を卓越させている大きな理由ではある。 しかしながら、豊かな「声の表現力」「精神性」を持つブルーズマンは、他 にもいる。何が彼をして、かく偉大たらしめているのだろうか?彼の何が、 「クロスロードで悪魔と取り引きをした」という伝説まで作り出したのだろ うか? それは、彼のギターの演奏力である。R.ジョンソンのギターが、他の同時代 のブルーズ・ミュージシャンと彼とを、はっきりと区別しているのだ。 R.ジョンソンの演奏で特筆すべきことは、「右手の表現力」だ。親指でビー トを刻みながら、他の指で高音のリフを奏でる。6弦全てを掻き鳴らすので もなく、ヴォーカルラインとユニゾンを奏でるわけでもない。右手の親指と それ以外の指が、ちょうどピアノの左手と右手の関係を為している。以下に 掲げる譜例は、R.ジョンソンの特徴的なフレーズ('Kindhearted Woman Blues'、'Phonograph Blues'他にみられるフレーズをプロトタイプ化したも の。完コピではない)である。 | ||
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4、5弦を弾く親指のビートの強拍と弱拍のイントネーションをキープしなが ら、高弦のリフは、低弦と完全に分離して滑らかに奏されなければならない。 多少なりともギターの心得のある人なら、この2小節を弾きこなす為にどの 程度の技量が必要か解るだろう。この譜例を初見で完璧に演れる人は、フィ ンガースタイルの達者な人か、クラシックギターの経験者だろう。プロ/ア マ問わず、「ロックギター専門」「アコギ弾き語り」の人には、俄には演奏 不能なはずだ。1、2弦のユニゾン、及び半音程の、なんと美しく、繊細なこ とか!そして親指で奏でるビートの、力強さ!R.ジョンソンと同時代の ミュージシャンにとって、この演奏が、悪魔と取り引きして得たとしか思え ない表現力であったことは、想像に難く無い。 キース・リチャーズが「ふたりで演奏しているように聞こえた」「これを弾 きながら歌うなんて、ヤツは3つの脳を持ってるのかよ!」と述べているの は、こういう理由である。また、「まるでバッハを聴いているようだ」とい う彼の言葉は、単に「古くて凄くて美しい」という意味ではなく、R.ジョン ソンのポリフォニックな音楽が、2声3声のインヴェンションを思い起こさ せたからである。 クラシック音楽の世界では、「ギターは、小さなオーケストラである」と言 われる。この言葉に準えて言えば、「R.ジョンソンのギターは、小さなバン ドである」。右手親指が繰り出す強力なバスドラムとベース。そして他の指 が奏でる美しく鋭いリードギター。後年のロック・アーティスト達が影響を 受けたのは、当然のことである。そして同時に、自ら音楽を作らず、演奏し ないが故に、何でもかんでも文学的「精神性」に帰結させようとする者達が、 R.ジョンソンの真の素晴らしさを理解することは、非常に難しい。 keywords: TAB タブ |
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| Kay'n wrote on July 17. 2004, 21:44 GMT | ||
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