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スペイン代表監督 ルイス・アラゴネスの「人種差別発言」詳細
Nov. 29, 2004
あらごねす


17日(現地)に行われたスペイン対イングランド親善試合以降、多くの人達が「アラゴネス監督 人種差別」といった検索キーワードでこのページを訪れてくれているようなので、実際にアラゴネス Luis Aragonés がスペイン語で何と言ったのかを、以下に掲載し、解説しておこう。(この件に関する本ページの記事は、こちら

機械的に直訳すると、「レジェス、がんばれ!あの黒人に言ってやりなさい。俺の方が優れているんだ、と。黒い糞である彼の売春婦の母親の上に糞をしてやる!俺の方が優れているんだ!と」。

“el negro” は、英語で言うところの “the black” であり、アフリカ系の人を指すにはいささか乱暴で悪意ある言葉であるとはいえ、特に「黒んぼ」という意味ではない。また、 “mierda” は英語における “shit” であり、“shit” は必ずしも排泄物を指すのではなく、 “thing” に置き換わる単なる汚い言葉だったりもする。 “cago en ...” (=“shit on ...”)も同様。“su puta madre” (= “his prostitute mother”)も定番罵り言葉であり、特にアンリーの母親を売春婦呼ばわりしたわけではなかろう。だから、意訳すればせいぜい以下のようなものだろう。

「あの黒いクソヤローより、お前の方が凄いんだぞ。あいつのかあちゃん、デーベーソ!糞喰らえだ!」

その品性と知的レベルは別として、少なくともアラゴネスは、いわゆる「差別用語」を使ったわけではない。「差別発言」を、言葉狩りの観点でしか捉えることの出来ない人は、「べつに問題ないんじゃない?」と考えるかも知れない。しかしながら、「差別」とは、そういうものではない。

人種による分類をする必要がない文脈で、或る人に対して、その人の有する人種的特徴に言及しながら貶める、或いは画一的なレッテルを貼ることは、「人種差別」なのである。

「あの黒人とは付き合うな。」「あんな黒人など雇わない。」こういった言葉には、差別用語も「糞」も「売春婦」も含まれていないが、紛れも無い「人種差別発言」である。たとえ「黒人」を「アフリカ系○○人」に変えても、同じことだ。

サッカーの練習中に、選手達を人種によって区分けする必要はない。ティエリー・アンリーはレジェスと同じクラブチームでプレイする偉大な選手であり、彼とレジェスを仮に比較する必要があったとしても、アンリーの皮膚の色に言及する必要がない。にもかかわらずアラゴネスは、アンリーの人種的特徴に言及し、貶めた。これは人種差別である。

アラゴネスはその後、次のような弁明を重ねているが、全て見当はずれである。

「私は人種差別主義者ではない。黒人の友達もたくさんいる。」・・・確かに、人種差別「主義者」ではないだろう。自らの主義主張として意識的に人種差別を行っている、KKK団のような者でなければ、「人種差別主義者」ではない。しかし、人種差別は、人種差別主義者だけによって行われるのではない。

「あの発言に差別的意図はない。」・・・人を貶める際に、意図せずして、たいした意味もなくその人種的特徴に言及する者は、さらに質が悪い。こういう者は、差別意識がその日常生活の中に染み付いている。アンリーの膚の色を、「糞」の色と決して関連付けなかった、「母親が売春婦」という言葉を、アフリカ系民族が長く置かれてきた社会的状況と決して関連付けなかった、と言うのなら、百歩譲ってその主張を受け入れることは不可能ではない。しかし、差別意識とは、長い歴史の中で形作られ、白人達の思考の裏側にこびり付いてきたものだ。これを払拭する為には、「差別的意図を持たない」だけでは何の意味もない。「無関係な文脈で、人種的要素を持ち出さない、根拠の無い因果関係を仄めかさない」ことを、意識的かつ継続的に 行う必要がある。これを怠る限り、人種差別は無くならない。

「マスコミは大きく捉え過ぎだ。」・・・今までマスコミが大きく捉えなかったから、国際試合、しかも親善試合の観客席で、アシュリー・コールやショーン・ライト=フィリップス等黒人選手を侮蔑・揶揄・罵倒する行為が平然と行われるのである。代表監督が見当はずれな言い訳を繰り返すから、ファンの間での人種差別意識が無くならないばかりか、むしろ増長するのである。この事だけをとっても、アラゴネスは有罪だ。