U.K.を脱退したビル・ブラフォードとアラン・ホールズワースがその後どうなったか、を書こうと思ったが、その前にU.K.のファーストアルバムについて少し補足しておこう。
当時の国内盤ライナーノーツで、水上はるこ氏が以下のように記している。
'78年のロンドンではたしかにパンクが隆盛を迎えていたとはいえ、おとなの英国人ミュージシャンが他の音楽に対して「ナイフでつきさしたような」みたいな敵意剥き出しの表現をした、というのはにわかには信じがたい。誤訳の香りぷんぷんだ(you could cut the smell of mistranslation with a knife)が、原文を見ることが出来ない以上、何とも言えない。少なくとも、「誰もアランのように演奏できない---というのが僕らの哲学さ。」には、深く頷かされる。
表現行為には、多くの受け手の共感(popularity)を得ようとする指向と、表現者自らの可能性をより追求(pursuit)しようとする指向がある。Progressive Rockとは、同時にPursuable Rockであったと言える。そういえば'90年代の初め、都はるみさんが「近ごろの演歌は、みんながカラオケで歌えるようなものばかりだけれど、私は自分にしか歌えない歌が歌いたい」と言い、「天女伝説」をはじめとするいくつかの大作をリリースした。そんな都はるみさんと、プロデューサーの中村さんに、私はプログレを感じたものだ。プログレ演歌だ。
U.K.のファーストアルバムを評して「古きよきプログレッシヴ・ロック」とすることには同意できない。まあ聴き手が「聴いた感じ」ではそう聞こえるのかもしれないが、あのコード進行とあの旋律の音列で、あれほどの濃密かつ有機的な構築性を実現し、かつあのヴォキャブラリーでの即興演奏をあのスピードで実現し、かつそれをもあれほど有機的に構築のなかに親和させている作品が、「U.K.」以前にあったというのなら、ぜひ教えて欲しいものだ。クリムゾンの「Red」はかなり近いが、いちギタリストとして比較すれば、ロバート・フリップの即興演奏はホールズワースの足元にも及ばない。「U.K.」を、サッカー日本代表戦民放地上波中継サブタイトル風に表現すると、「黄金のカルテット集結!ブリティッシュ・プログレの最終進化型!!」である。
水上氏は、次のようにも書いている。
いや、あなたのプレイは充分神わざだと思いますよ、「アラン」(この時代の女性音楽ライターって、なぜ誰でも彼でもファーストネームで呼ぶんでしょうね。ベイシティローラーズじゃないんだから)。この種の音楽を「8分の力で、ゆったりと力まず演奏している」ようにリスナーに聞こえる ように演奏する為に、どれほどの技量と準備と集中力が必要か。ゴン中山みたいにいちいち決死の形相を見せないだけで。言わば、「結果を出せばいいんでしょっ?」ってな感じで、セリエAデビュー戦でいきなり2ゴール挙げてしまう中田英寿選手のようなもの。クールな表情の下に隠された高い技術と強固な哲学に、私はむしろ、熱いカタルシスを見い出すのだ・・・
はっ!中田英・・・英・・・英国・・・U.K.!?