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豊田勇造「ジェフ・ベックが来なかった雨の円山音楽堂」
Nov. 28, 2003
とよだゆうぞう


京都の高校時代、あれはたしか1年生の時だったから、1979年だろうか。当時から洋楽一辺倒だった私に、友人が「こんなんあるよ。」と聴かせてくれた曲があった。聴くと、ひとりの日本人ヴォーカリストがアコースティックギターを激しく掻き鳴らしながら、自分が待ち焦がれていたひとりのギタリストがその京都公演を突然キャンセルした事実と、その事実に対するやり場のない怒りを、弾き語っていた。

「ジェフ・ベックが来なかった雨の円山音楽堂」

(「走れアルマジロ 豊田勇造『拾得』ライブ」より)

今、この曲タイトルを標準語アクセントで読んだあなた。それはちがう。このタイトルは是非、京都弁で読んでもらいたい。つまり、こうである。

「ジェフ・ベッくがコナかった あメのマルヤマおんがく堂」(カタカナを高く、ひらがなを低く、漢字をその中間に。)

英国のギタリスト、ジェフ・ベック Jeff Beck は、'75年に行われた「ワールドロックフェスティバル・イーストランド」のワンステージとして、京都の八坂神社近くにある野外ステージ「円山音楽堂」でのライブに出演する予定だった。しかし来日直前のコンサートで風邪をこじらせ、京都公演の当日に39度の熱を出してダウン。出演をキャンセルしてしまったのだ。

この曲は、この事実を、文字どおり「語って」いる。ラップではない。トーキングである。京都弁で。この際言っておくが、「京都弁」と言う度に「『どすえ』とか言うの?」とか聞くのはやめてくれ。当時から、普通の京都の若者は「どすえ」なんて言わない。とにかくこの曲で、豊田勇造は、語っている。

彼が語っている事実と心情が、私にとってものすごく身近で、ものすごく共感できるものだったことを措いても、彼の語りは私にとって「歌」だった。京都弁の抑揚が、そのままメロディだった。実際、この曲にはひとつだけリフレインがあり、そこには本当のメロディがついているが、そのメロディもまた、京都弁の抑揚とぴったり一致しているのだ。

豊田勇造の歌は、Bluesである。いわゆるブルース進行の楽曲でなくても、Bluesである。そのことを、アメリカンブルーズの歴史を繙きながら論証することも可能だが、今はその必要はないだろう。とにかく彼はこの曲で、語る。期待を、怒りを、悔しさを、身体と心の熱さを、寒さを語る。

それが豊田勇造の「歌」だ。